にまめの歯ぎしり
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一人一人に今、できること:戦争の芽だと思ったら一つ一つ自分の手でつぶしていくこと
毎日新聞に半藤一利さんのインタビューが掲載されていました。
 一人一人に今できることは何なのかーこの問いに半藤さんは、こう言っています。「戦争の芽をつぶしてかかるしかないですね。自分の目で見つめ、戦争の芽だと思うものを見つけたら、一つ一つこんなふうに自分の手でつぶしていくんです。ぷちんぷちんと丹念にね」  私もプチプチを続けたいと思います。

特集ワイド:解釈改憲 作家・半藤一利さん
 <この国はどこへ行こうとしているのか>(毎日新聞2014年05月19日東京夕刊)

 ◇今が「引き返せぬ地点」
  「歴史に戦前の日本の転機を見いだすことはできても、その時代に生きた国民がそれを実感していたかは別なんです」。行きつけの喫茶店で、半藤さんは語り始めた。
 自称、歴史探偵。日本が戦争にかじを切ったいくつものターニングポイント(転機)を繰り返しつづってきた。太平洋戦争であれば1931年の満州事変がその一つ。「しかし事変直後、国民がいきなり好戦的になったわけではない。その6年後、永井荷風の『ボク東綺譚(ぼくとうきだん)』や堀辰雄の『風立ちぬ』など昭和文学の名作が次々発表されました。世の中にも人の心にもまだ余裕があり、時の権力者が中国を植民地化する野望を抱いていたことなど気づいてもいなかったのでしょう。今の日本も同じ。昭和の国民が気づいていなかったのと同じように、私たちも気づいていないだけではないでしょうか」

 小さな手書きのメモには、38年の国家総動員法第4条の条文が。<勅令ノ定ムル所ニ依リ帝国臣民ヲ徴用シテ総動員業務ニ従事セシムルコトヲ得……>
 「運用次第で何でもできる条文です。1万人を徴用することも、24時間徹夜で働かせることも。この法を境に日本は『戦時国家』となり、国民生活が大きく変わった。法を盾に右翼が非好戦的な人を『非国民』となじり始めた」
 40年、米やみそなどの購入が切符制に。41年には生活必需物資統制令公布。同年末にはもう真珠湾攻撃だ。国家総動員法こそが、昭和の国民にとって戦争への「ノー・リターン・ポイント」だった。

 「いつか今を振り返った時、特定秘密保護法も転機と語られるのかもしれない。まして今回の解釈改憲は、運用次第でどうにでもできる新法を作るのと同じ。時の政府に何だって許してしまう。70年間、戦争で人を殺しも殺されもしなかったこの国の国際的信頼という国益を手放し、国のかたちを変えてしまう」
 つまり解釈改憲こそが私たちの「ノー・リターン・ポイント」だと?
 静かにうなずいた。

 「絶対」という言葉は生涯使わない−−45年3月10日の東京大空襲の焼け跡で14歳の時、そう誓った。「絶対に日本の国は正しいとか、絶対に神風は吹くだとか、絶対に俺は人を殺さないとか。すべてうそだと思った」と振り返る。炎に追われ、中川に飛び込んだ。自分にすがろうと伸びてきた手を振りほどいた。「何度空襲の夢を見たことか。夢の中で誰かを助けよう、助けようとしているんだ。助けられるわけないのに」

 文芸春秋に勤務していたころ、戦争や昭和史を調べ始めた。「日本は地政的に“守れない国”なんです。海岸線はアメリカより長く、真ん中に山脈が走るため逃げる場所もない。だからこそ、日本は戦争をしてはいけない」が持論だ。「守れない国は、集団的自衛権なんて他人のケンカを買ってはいけない。海岸線に原発が何十基もあるんです。どうやって守りますか」

 北朝鮮や中国といった外からの脅威を強調し、国内のナショナリズムをあおる風潮を危惧する。「日本は黒船の時代以来、“攘夷(じょうい)”の精神を引きずっている」。だから、解釈改憲のその先に控えるものは「国防軍」と言い切る。「外からの脅威に立ち向かうため、強い軍隊がいた方が安心、などとはこの国に軍隊がないから言える。本来、軍隊ほどおっかないものはないんです。軍隊は通常、刑法や民法など法体系から外れ、国民が監視できない。裁判は軍事裁判に。私たちは軍隊からの身の安全を考えなければいけなくなりますよ。世界のクーデターの首謀者はたいてい軍隊です」

 今の日本は太平洋戦争へと突き進んだ最初の転機である31〜33年の3年間に重なる、と指摘する。情報の国家統制、臣民教育を目指した国定教科書の改訂、5・15事件などのテロ……。「今はまだ幸いなことに新聞各社が自由な論調を維持できているが、間もなくかもしれません。その証拠にNHKはすでに危うい。歴史教科書の問題も、仮想敵国が強調されるのも当時とそっくり。テロはまだのようだが、ヘイトスピーチやネトウヨ現象は気になります」

 確かに言われてみれば、当時と今は似ている。なぜ同じ道をたどってしまうのか。

 「日露戦争は勝ったとはいえ多くの人の命を奪い、国民生活を圧迫した悲惨な戦争でした。『勝った勝った』と美談として語られるようになったのは、終戦直後ではなく、1930年代に入ってからなんです。戦争を体験した世代が生きている限り、時計はそう速く進まない。しかし彼らが死んだ途端、時計は大急ぎで動き出す。今の安倍晋三政権もそう。政治や官僚の中堅に戦争体験者はもういない。いるのは右肩上がりの栄光しか知らない世代です」

 2003年の個人情報保護法成立後、防衛省の戦史研究センターなどで戦犯の裁判記録や軍人の日記を読もうにも、名前や住所が黒く消されるようになった。「若い世代が昭和史や戦史を学ぶのが困難な時代になってしまった。やがて、作られた美談の歴史だけが残っていくのかもしれません」

 長い沈黙。時を刻む時計の音が聞こえた気がした。

 解釈改憲の先の国のかたちを問うと、「私は死んでますから」とけむに巻かれた。それでも「死んだ後のこの国は」としつこく食い下がったら、半藤さんは一瞬、真顔になり、言葉に力を込め、「だからこそ、生きている間はそうさせねえぞ、って」。次の瞬間、笑顔に戻り「でもそれは口に出すことではない。ひそかに思っていればいいことです」と言い添えた。

 一人一人に今できることは何なのか。半藤さんはこちらを見つめ、こう言った。「戦争の芽をつぶしてかかるしかないですね。自分の目で見つめ、戦争の芽だと思うものを見つけたら、一つ一つ」
 しわだらけの細い指が、空をつまむ。「芽」をつぶす仕草をする。何度も何度も。力を込めて。「こんなふうに自分の手でつぶしていくんです。ぷちんぷちんと丹念にね」
 この指の力強さをいつまでも忘れないように、と心に刻んだ。【小国綾子】
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【2014/05/24 12:27】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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