にまめの歯ぎしり
感じたこと、考えたこと、気になったことなどなど、いろいろ書いています。
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ごまかしと論理のすり替え(2013.02.10北海道新聞)
  原子力関係者の発言がシリーズで紹介される「原子力 負の遺産 第6部」。原子力委員会委員長である近藤駿介氏の発言は言い訳・誤魔化しをしたい場合の参考にできます。

 氏によれば、原子力委員会は最新の知見に照らした確認をするよう国や事業者に求めてきたが、リスク管理の徹底に甘さがあったということになる。
 (そもそも徹底することが難しいのだから、徹底できない場合を想定するのもリスク管理でしょう!という反論は措くとして)、その甘さについてはこう説明しています。

 ①大地震の可能について専門家の間でさまざまな意見があったのに、情報を把握する努力が足りなかった。
 → 把握していなかったのではなく、無視したからでしょう?
 ②1万年に1度の大津波が起こったらどうなるか、原子力関係者の間でそのような厳しい事態の想定が共有されなかった。
 → 共有されなかったのではなく、厳しい事態の想定を権限のある原子力関係者が無視しただけでしょう?
 ③これまでのリスク管理は、心配させないことを重視するあまり、トラブル記録の改ざんなども起きた。
 → ご親切なこと。心配させまいとしてくれたんですか・・・。心配されたら自分たちが困るから、隠したのでは?
 ④これからの電源はエネルギー安全保障、(地球温暖化防止など)環境への適合性、経済性を考慮し判断すべき。
 → 「エネルギー安全保障」の意味は?もっともらしいけれど意味が明確でない単語をまず使う。外務省などの資料によれば、エネルギー供給国との関係強化や多様化、輸送路の安全確保、市場の透明性向上などにより、継続的、安定的、経済的にエネルギーを確保することらしい。とりあえずそう理解するとして、環境適合性に地球温暖化防止を例示することが意図的ですよね。放射能汚染による環境悪化は不問にする?

 ⑤今は原発の停止を火力発電で補うために燃料費が毎年3、4兆円膨らむ。当面は安全対策に万全を期し、国民の理解を得られる範囲で原子力を使うことが大切。
 → 経済性への考慮が火力発電の燃料費ですか。事故による多額の補償をはじめ、立地及び原発の維持に投入された税金の経済性をどう理解するのでしょうか。それに火力発電の燃料費は私たち消費者が負担しているし、それを受け入れています。「国民の理解」が原発ゼロなのですよ。

 ⑥(高レベル放射性廃棄物の最終処分地が決まっていないで原子力を使うことへの批判に対して)人類が後始末の問題まですべて解決した上で使い始めた技術はあるのか。
 → 極論を出して開き直りですね。原子力ほど未知の部分が大きく人類への影響が大きいものがあるでしょうか?

 ⑦放射性物質の場合、放射能は減っていつかはなくなる。ヒ素の毒性は地中に埋めても永遠になくならない。
 → これってトンデモ論?ヒ素は量的な制御によって人類は使いこなしているものですが、放射能をそのように使えますか?制御可能ですか?

 ⑧(放射性廃棄物の)発生量で言えば、長い年月をかけて1カ所決めれば間に会うという程度。
 → あなたのご自宅にお決めになってはいかがでしょうか?

 ⑨産廃のようにきょうあすの問題ではないから、原発のごみの問題を一生懸命考える人が限られていたように思う。問題解決のため、政治の側ももっと国民と対話してほしい。
 → 一生懸命考えたから、多くの地元が受け入れを拒否してきたのではありませんか?産廃を受けいれた地域はあっても、放射性廃棄物の最終処分場を受け入れる地域がなぜないのか。近藤氏にこそ、「一生懸命」考えていただきたいものです。
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【2013/02/15 21:58】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
そんな覚悟までして原発が必要か(2013.02.08北海道新聞)
 「本当に安全なら、東京湾や大阪湾に造ればいいのではないか。」大学で原子力を専攻し、広島生まれの被爆2世でもある今中氏が原子力にうさんくささを感じた最大の理由が、学生時代に抱いたこの素朴な疑問だといいます。私もまったく同じ素朴な疑問をもった1人です。明々白々な論理でしたから、原発に賛成する人は利益を得る人たちに違いないと思い込んでいました。

そういえば、世の中には似たようなものがたくさんあります。沖縄に配備されたオスプレイ、そもそも米軍基地との併存。沖縄は基地があるから利益を得ているという人がいるけれど、それではあなたの町へ誘致してはいかがでしょうか?

安全でないもので言えば、産業廃棄物、飛行機、車などなど。みんな危険があることは承知しているけれど、事故の確率や被害の限定(それは楽観につながることもありますが)、利便性や代替性を天秤にかけて受け入れてきました。飛行機が怖い人は電車を選んでいます。でも原発は一度、事故があれば情け容赦なく無差別に拡散し、長期に居座ることを実感したばかりです。

原子力の専門家である今中さんがいうように、福島事故で東京以北が無視できないレベルに汚染されたけれど、チェルノブイリと比べたら福島の周辺住民の被ばく量は2桁少ない。「ただちに影響はない」という政府の繰り返しは正しいけれど、将来は分からないという理解が妥当なのでしょうね。

だからこそ「そこが難しい」。孫を連れて飯館村に住めるかはノー、福島市なら悩むという今中さん。そこに30万人が住んでいて全員避難すべきと言えない現実を前にして、避難する権利を保証したうえでそれぞれの破断にゆだねるしかないという。という言葉に今中さんの誠実さを感じます。

 廃炉も廃棄物も専門家が手さぐりで進めなければならないのが核エネルギーの利用ではないでしょうか。

 「もし今後も原発を動かすというのなら、福島のような事故が再び起こり、その後始末にまら何十年も費やす覚悟がいる。そんな覚悟までして原発が必要なのか、冷静に考えたい。」原発を動かすことに賛成する人にこそ、この今中さんの言葉をきいてもらいたい。
【2013/02/12 21:53】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
沖縄返還核密約(2013.01.05 北海道新聞夕刊)
 こんなに重要な事実がどうして、話題にならないのでしょう・・・

 中曽根元首相という人は国民を騙すことには何の抵抗もなく、そもそも問題があるとは思っていない。だから臆面なく歴史の「真実」を語ってくれます。

 60年安保条約改定にあたって、岸・アイゼンハワーは日本への核兵器持ち込みを密約していました。71年衆議院で決議された非核三原則は当初から有名無実のものとして認識されていて、日米双方はそもそも守る気はなかったのです。

 「三原則は、原爆の国民感情を考えた政治原則。建前で現実は違う。こんなことはいくらでもある。国民は知らんか、知らんふりをしてくれるのが賢明だ」などと中曽根氏は述べているといいます。しかも、事前協議密約の運用は官僚任せだったというのですから、この国の主権者とは一体・・・

 悔しいのは、現に多くの国民が結果的に、中曽根が望んだように振る舞ってきたということです。
  これらの証言は、若月教授(北海学園大学)瀬川研究員(北大公共政策学研究センター)という札幌の研修者の方も関わって行った聞き取りによるもので、『中曽根康弘が語る戦後日本外交』という本としてまとめられたことが紹介されています。

 この記事を書いた北海道新聞の往住(とこすみ)編集委員はさらに、沖縄返還交渉を担当したアメリカ側スタッフであるハルペリン氏の証言も紹介しています。
 ①返還後も有事には核持ち込みを認めることを約束し、それが「密約」になったのはもっぱら日本側の事情であった。
 ②沖縄返還のアメリカ側の目的は、それをきっかけに本土の基地を自由に使えるようにすることであった。

 このハルペリン氏は、返還40年後の沖縄について「占領時代と同じ事に驚いています。(略)施政権を返したのだから日本政府が何かするだろうと思った(略)」と語ったそうです。
 
 往住氏の解説にあるように、佐藤栄作政権は沖縄を「核抜き本土並み」で返還させたのではなく、実際は「本土の沖縄化」だったことは明らかになりました。
 
 本土の私たちがもし、沖縄の問題をどこか他人事と思っているとしたら、それはあまりに愚か過ぎないでしょうか。
【2013/02/12 20:28】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
「楕円の思考」(2013.01.07北海道新聞)
 歯ぎしりはしても、なかなか言葉にできないでいます。

 だから、新聞を読んでいわゆる識者や記者が書いた「そうだよな!」というコラムを読むと、いたく感心したり、感動することが多い。

 お正月明けの1月7日、北海道新聞夕刊「楕円の思考」に加藤典洋が書いた「第三極ではなく第二の軸を」も、全面的賛成ではないけれど、論理の立て方に感心したものの一つ。
(話はそれますが、「楕円の思考」のコラムでは毎回、舟越桂の彫像の写真が掲載されていて、これがなんとも言えず心にしみるものばかり。)

 昨年末の選挙について、戦後24回の選挙資料をもとにして加藤はこう結論づけます。
 敗戦後から1990年前後までの日本には、大きな対立軸が二つあった。60年までの第1期は「アメリカにつくか、独立するか」であり、経済成長期の第2期は「生活を豊かにするか、社会的公正を充実させるか」である。しかし91年以降の「失われた20年」の時代には、対立軸が見えなくなり、政治と社会、政党がそれを見つけられないまま浮遊し続け、原発事故を機に「やみくもに再編に動いた。」のが今回の選挙であるというのである。
加藤は「国民の生活を守るか、国が国際競争を勝ち抜くか」。つまり「国民か国かという新しい対立軸」が生まれていたというのです。

 民のいない国など存在しないのだから(国のない民はあっても)、これは巧妙なレトリックであって、ここでいう「国」は何を、どのような人の利益の代表をしているのか、眉唾で聞く必要はあるけれど、次のような主張には賛同しました。

 政治とはそもそも見えない中から新たな対立軸を見つけだし、作りだし、それを選挙民に訴えることで社会を変える技術ではないのか。

【2013/02/11 20:15】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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