にまめの歯ぎしり
感じたこと、考えたこと、気になったことなどなど、いろいろ書いています。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 |
プラハとウィーン(その2)
  プラハで3泊、ウィーンで3泊した夏休み。どちらの街も公共交通網が安くて便利なことは感動的です。
  東西南北に延びている地下鉄が基幹交通で、数カ所の駅で乗り換えできます。ほとんどの地下鉄駅から乗り継ぎ可能で、縦横無尽に何本も走っているのがトラム(&バス)です。中心部は複数の路線が重複して走っていて、途中からいろいろな方向へ分かれていくようになっています。乗り継ぎ・乗り換えを繰りかえしていけばタクシーを使う必要はまったく感じません。
  トラムは降りる人か乗る人がいるところだけしか停まりませんので、日本のバスと同じです。地下鉄もトラム(バス)も、降りる人・乗る人が自分でドアを開けることになっているのは、ちょっと慣れるまで戸惑いました。
  興味深い(というより感激する)のは料金体系です。地下鉄に改札機はありません。トラム&バスにも切符投入口はありません。時間刻印器(という名前かどうかは不明)があるだけです。切符は区間券はなく(1回券はあります)、いろいろな種類の時間または日数券になっています(月間定期券もあるようです)。
乗客は最初に乗車する時に、地下鉄は改札口、トラム(バス)は車内で、その機械にチケットを入れて時間を記載します。つまり基本的に切符の有無は自己申告になっているのです。検札は時々行われています。私が検札の人を見かけたのはプラハで1回、ウィーンで2回でした。どちらも私のところまでは来ません。やはり人を見ているらしい・・・(笑)不正乗車していたら罰金を払うことになります。罰金の額は忘れましたが、法外ではなかった記憶があります。また市民か外の人かで金額も違っているらしいです。
  改札機や料金システムや電子切符などに高いお金をかけるのと、ただ乗りの不正乗車のリスクとどちらが果たして経済的でしょうか・・・・。なによりも、人々の信頼に基づくシステムというのが気持ちよいと思いませんか?
  なお乗車料金ですが、プラハの3日券で310KC(1,200円程度)、物価がやや高めのウィーンではその金額だと48時間券くらいでした。このチケットがあれば地下鉄、トラム、バスとにかく乗り放題です。
  残念だったのは、プラハでは地下鉄整備の影響だと思われるトラム路線の廃止・組み換えが数本あったこと。トラムは観光客にとっても楽しみが大きいのでこれ以上、廃止しないことを願っています。
またトラムは、地下鉄よりも足への負担が少ないという良い面があります。今回、私は旅行中に足を痛めてしまったので遠回りしても地下鉄ではなくトラムを利用しました。まさに体験として実感です。
  最後にひとつ。プラハからの列車がウィーンへ入ったあたりで、たくさんの風車が見えました。集落があると風車と送電線、畑、また集落があると風車と送電線。その繰り返しはウィーン市内に入るまで何度か続きました。私は知りませんでしたが、オーストリアは再生可能エネルギーの地産地消の国だったようです。
 

 
スポンサーサイト
【2012/08/28 22:23】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) |
プラハとウィーン(その1)
  夏休みをとって、プラハ・ウィーン6泊8日の旅へ出かけてきました。
  プラハは3回目。何百年前へタイムスリップしたような街並みを見て歩くだけで楽しいので、行く先を決めずにトラムへ乗って面白そうな(美味しそうな)店をみかけたら降車して、飲んだり食べたりというチャレンジをしてみました。
  観光で有名な場所(歴史地区やヴァーツラフ広場、プラハ城など)の半額以下で美味しいビールや料理が味わえます。地ビールの味や料理の味が微妙に違っているのも楽しいのです。
  プラハからウィーンへは4時間半の鉄道を利用しました。切符を購入したプラハ中央駅の窓口の方が日本語を話してくれて「片道だけ?」とか「窓際をとりました」なんて話してくれて、驚きました。事前に調べた時にはチェコ語しかわからないと書いてあるブログがあったので、かなり心細く不安な気持ちだったのです。それだけ鉄道を利用する日本人が多くなったのかな・・・
  ウィーンでもトラムを利用してあちこちの街並みを見て回りました。プラハの建物がどこか優しい美しさなのに比べると、ウィーンは威圧的な美しさです。なんと言ってもハプスブルグ家の強大な権力が作った街ですからね。でも、その財力のお陰で美術品のコレクションは目を見張るものがあります。
  美術史美術館がその一つ。ハプスブルグ家が勢力範囲だったオランダ、スペイン、イタリア、ドイツなどから集めた絵画を丸一日、見て歩くことができました。ベラスケス、ルーベンス、レンブラントのほかブリューゲルの作品数は世界一とのこと。日本で大人気(私も好きですが)のフェルメールの絵「絵画芸術」もあります。これら数百年間の絵画をずらっと見て思ったのは、どの絵にも発注した人がいたという当たり前だけど、現代の私たちがなんとなく忘れがちな事実です。この絵を描かせた意図はなにか。それを考えるのが面白くなっていきました。
  そしてべルヴェデール宮殿のクリムト!彼の作品がいかにバリエーションがあり、かつ意図的なものだったかをしみじみ感じました。
  プラハとウィーンに共通して私が感激するのは公共交通網と料金システムなのですが、それは(その2)で。
【2012/08/26 19:39】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(1) |
被爆地ヒロシマ・ナガサキにすぐに人が住めたのはなぜ?
 8月6日は広島、9日は長崎に原子爆弾が投下された日。両都市は間もなく人が住み始めたのに、福島原発事故で放射能汚染された地域は長い間近づくことができないのは何故か?という疑問がわきました。
 調べみたら、ありました!
「特定非営利活動法人原爆先生」の原爆先生こと池田眞徳さんがヒロシマを例に解説しています。要約すると・・・

 ①ヒロシマ原子爆弾からは半永久的に人が住めないくらいの「大量の放射性物質」が出ていたが、どこかに消えてしまった。その原因は2つ。

 ②原因第1は、上空570mで爆発したために威力が落ち土壌汚染の度合いが低くなった。

 ③原因第2は、原子爆弾が爆発した瞬間に発光体は膨れ上がり球体の中心温度100万℃、球体の外周7000℃という超高熱に達したこと。
  この高熱によって、核分裂の分裂片、ウラン235の燃え残り、爆弾の容器などすべてのもの を一瞬のうちに気化させるとともに、強い上昇気流を発生させ、塵や残骸粉、気化した放射性物 質が上昇気流で成層圏付近まで舞い上がり、気流に乗って世界各国に分散された。
   ※一部の残骸粉や放射性物質は「黒い雨」となって広島市の北西部に降り注いだ。

 つまり、世界中に放射性物質を撒き散らしたことによって、広島は局地的な土壌汚染を免れたというのです。複雑な気分になります。
 原爆先生は都内の小中学校で原爆の威力や被害について特別授業を続けておられる方で・・・
続きを読む
【2012/08/10 10:10】 | 未分類 | トラックバック(0) | コメント(0) |
| ホーム |
プロフィール

にまめ

Author:にまめ

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。